Kikasete 聴かせて

心のブログ

しかし弱さを認める事で 人とは強くもなれるのさ

友人が長く勤めた病院を辞めた際「私は明日からどうしたら…」と嘆いた後輩に「貴方は盾となり身を呈して後輩を守り、先輩からの理不尽な要求にも、身勝手な後輩にも耐えて、良く頑張っている。それを知っているのは何も私だけでは無い。何も言わなくても、貴方のその背中をしっかりと見てくれている人は他にも居るから大丈夫だよ。」そう伝えると、その後輩は泣き崩れてしまい、最後に大泣きさせてしまったと、少し悲しそうに私に語ってくれました。
しかし私はそれで良かったのだと思うのです。
己の決意を己で背負い頑張った結果、強くなり成長してこれた人は、強くなろうと独り頑張る背中に対し、下手な声掛けは不用だと思い、優しく見守るに留めようとするのもでは無いでしょうか?それは、決して見て見ぬふりの意地悪とは違うものです。それが分かっているからこそ、後輩の彼女は優しく見守ってくれていた眼差しが無くなってしまう今後についての不安を述べたのでしょう。だから、他にも態度や声には出さなくとも、ちゃんと見て評価してくれている人の存在を示してあげられた事は、きっと彼女の救いになった事と思います。
しかし、彼女は泣き崩れてしまった…
優しくはっきりと初めて言葉で認めて貰えた事に反応し、張り詰めていた糸が切れた様に泣き崩れてしまったのでしょう。もしかすると、彼女は既に限界を超えていたのかもしれない。このタイミングで彼女が自分の強さと弱さの両面を意図せずに認識出来た事は、良かったのではないかと私は思います。
己の信条を貫くには、相当の痛みも伴います。それを乗り越えたからこそ手に入れられる強さがあります。しかし、自分の限界は自分にしか分からないものなので、ついついその限界を超えてまで頑張り、気持ちが尽きてしまう事があります。
苦難を乗り越え得られる強さは確かにありますが、逆に自分の限界を知り、自分の弱さを知り、それを自身で受け止められる様になる事で、人は柔軟な心の強さを手に入れる事も出来るのです。
がむしゃらに頑張る事だけが強さでは有りません、自身と向き合える柔軟な心の強さを持つ事こそ大切なのではないでしょうか。