Kikasete 聴かせて

心のブログ

自然の世界はあるがまま


大自然雄大さとその優しさに触れて、心身共にリフレッシュ出来た経験は誰しもあるのでは無いでしょうか?
しかし大自然と言うものは、ただ美しく優しく常にそこに有る訳ではなく、時に残酷な程不条理な一面を見せる事もあります。ただ、それは意図せず、ふいに、あるがままの流れに委ねられながら。
心理を学ばれている方は、この「あるがまま」と言うフレーズは今やとても聞き慣れた言葉として自然に受け入れられている方も多いかと思います。しかし、私自身はこの言葉に出会って間もなく、その意味だったり、在りようについてを今ひとつ上手くお伝え仕切れていない様に感じるので、あれやこれやと工夫に努めている最中です。
空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せるたとえとして「行雲流水」と言う言葉があります。まさに「あるがまま」ですね。大自然の中で日々の喧騒から離れ、リラックスできる落ち着いた生活は、まさに「行雲流水」な生き方といえるのかも知れません。が、誰しもがそうそう出来る生き方ではありません。その代わり私達は「あるがまま」を自身の心の中で感じる事でもリラックス出来ると言うのですから、これを活用しない手はないですね。
生活に「あるがまま」を取り入れてから、色々な場面で効果を感じている私ではありますが、一言で言ってしまうと、複雑な思考にとらわれず没頭し、今の状況をありのまま素直に受け入れる事で、非常にリラックスした状態になれる。そう言う事になるのかと。
訓練を積み、心の中の在り方だけでリラックス出来る事を目指す訳ですが、難しい場合は、好きな事に没頭したり、大自然の力を借り、大いにリラックスした状態の自分をしっかり意識する事から始めてみると良い様に思います。

厳しい評価にゃ良し悪しあるし 自慈心はぐくむ評価にせんか


ひと昔前までは「ひとに優しく自分に厳しく」が善い行いの様に思われていましたが、今は「人にも自分にも優しく」が肝要だと言われ始めています。自らを大切にする心は、やがて他者を敬う思いやりや感謝の心につながってゆくと。
逆に自分を大切に思えない人は、善い行いをしながらも、そこに自己肯定感につながる他者からの見返りを求めてしまうため、感謝してもらえなかった時に深く傷つき、嫌な感情が芽生えてしまうこともあるそうで。何よりもまず自己を大切にする心、自分に優しくいられる事で、初めて無条件の他者貢献が生まれるということです。がしかし、自分に厳しい人ほど、自分に優しくを理解頂くのがとても難しい様に感じます。

無条件の他者貢献と言うものは、案外その辺に転がっていて、皆さん知らず知らずのうちにされているものだと私は思うのですが、自分に優しく無い方は、自分の無意識に行っている善行に対しても、とても厳しいように感じます。
例えば、誰かが鍵を落としたとしたら、即座に拾って声を掛ける。当たり前の事ですが、とても良い善行です。自分は気付いても素通りする様な酷い人間じゃ無いのだから、当たり前であって特段褒められる様な事でもない。そう思った方は、なかなか自分に厳しい。

もし、鍵の持ち主が御礼も言わずに鍵を奪うように去って行った場合に、特に見返りを求めた訳でも無いけれど、なんだか少し寂しく感じてしまう。なんなら、せっかく拾ってあげたのに…と腹立たしくすら感じてしまう。皆さん大抵はそんな感情を抱くのでは?
そんな時、自分の善行に対して自身で認めてあげず、ただ当然の事だからしたと言うだけだと、こうなるぐらいならしなければ良かったのか?イヤイヤ…そんな風に感じる自分はダメだ、まだまだだなぁ。だったり、いっそ関わらなきゃ良かった、相変わらずバカだなぁ。と自分自身を責めてしまったり。せっかくの善行ですら、自身を責める要因になってしまう事も。

一方、当たり前の事だけど、善い行いをしたと自身で認めていて、普段から自分に優しい気持ちを向けられている人は、嫌な思いをする所までは同じだとしても、その後で自分を責める事まではせず、まぁ自分は善い行いをしたのだから、良しとしよう。と嫌な気持ちを自分へは向けずに受け流す事が出来る。
そう言った些細な日常の出来事の積み重ねによって、自慈心(自身を慈しみ優しく受け止める心)は育まれ、無条件の他者貢献が成り立って行くのでは無いかと思うのです。

自分を律して厳しく有る在り方が決して悪いと言うのではありません。自分を大切にし優しくあると言う事は、決して自分を甘やかし過ぎたり、他者を批判して自分を擁護すると言う意味では無く、他者を敬い尊ぶ様に、自身も大切に扱い認める事により、自分の心を育み、より一層の成長につなげて行ける事にもなるのでは無いかと思うのです。

助けてもらえば届くとこ


自分の事ばかりなら、多少無理をしたり、時には呆けてみたりとそれなりにバランスをとりながらやれますが、母となり子の成長に深く関わる様になると、我が子とは言え自分の思う通りには行かないもので。
思う通りにさせてしまってはいけないけれど、かと言って放任?自由に本人任せが誰にでも当てはまる正解だとは思えず、壁にぶつかった私が、心理学のひとつの理論を学んだ事で、スッキリ腑に落ちた経験がありました。

簡単に言うと、一人だけではできない課題について、適切な援助をすることで最終的には自力でできるようにすることを目指すと言うもの。
ギリギリ届かない目標に対し、ちょうどいい高さの足場をかける。結果、ひとりで届くようになり、その先の目標を目指せるようになると言う考えです。

詳しくお知りになりたい方は
ヴィゴツキーの発達の最近接領域(援助者の手を借りて発達できる個々の伸び幅)や
ブルーナーの足場かけ(足場かけにより潜在能力が引き出され、さらに上のレベルに行くことができる)について、調べてみて下さいね。

心理学の世界は奥が深く、これと言った正解は無いものだと思っているので、私の場合その時の状況ではこの理論が一番腑に落ちただけで、状況や境遇、関係性等々で何がしっくりくるかは違うもの。しかし何が正解なのか(そもそも正解って何?)を求めて彷徨うより、色んな理論や知識、考えがあるのだと言う事を知り、受け入れ、状況に合わせてしっくりくるものを選べる事も大切なのではないかと思うのです。

みぃんなそれぞれ頑張って それぞれ出来ん事だらけ

全く同じ特性の者ばかりでは、進化も進歩も難しいのだから、私達はそれぞれに色んな特性を持って産まれてくる。
しかしそれは、この特性なのだからこれをしろと、決められた任務を与えられ産まれた訳では無いと思うのです。
それぞれがどう言う道をたどり、自身は何を得て、周りにどんな影響を与えるのか。神のみぞ知るって言葉がありますが、本当に神さまご存知なのかな?
私たちが自分の特性をどう生かして、この世にどんな影響を及ぼすのか、それはきっと誰にも分からないし、それをどうするかの自由もまた私たちには与えられているのではないかと思うのです。

優しくそこに在るものに ただただ 心を傾けて


どうにも辛い時、何も出来無い自分を責める事しか出来ず、そこにあるはずの温もりに、幸せに、感謝する心の余裕など全く無い様な時、そんな時は何もしないのがいい。
迷惑をかけてる自分、疎まれてる自分を勝手に想像して、苦しむ事もしないでいい。
辛い気持ちが伝わって、誰もを辛くするよりは、今は感じぬ温もりに、ゆっくりゆっくり気持ちを向けて、ただただ浸かって居られる様に。
今は卵の殻の中、外の温もりを感じられ、出たくて仕方が無くなるまでは、まだまだ出るのは早いのだから。慌てなくても大丈夫、まずは温もりを感じよう。初めは貴方自身の中の、優しい気持ちを自分に向けて、ゆっくりゆっくり癒して欲しい。

自分の歩幅に調子を合わせ じっくり考え進みゃあええ


どんどんと、夢を実現されて行く方々を見て、とっても焦ってしまっていた私がおります。正直いまだに憧れてはいますが…
いえいえ、人は人。自分は自分。自分の為に生きられるからこそ、人の為にもなれるのだし、人の調子に合わせるのでは無く、自分の調子を考えなければね。
しかし、そうとは分かっていても、ついつい自分を見失ってしまいがち…
したい事が山とある中、無理矢理突き進んで行く事でどんどんと道が開けて、想像以上に上手く行く事も良くある事なので、この際勢いに任せて!とも思っていたのですが、ここで少子休憩。。。
ここの投稿、休憩ばかりしているなと思われていそうですが、まぁこう言うのも中にはあっても良いのかも?と自分を甘やかしております(笑)

さてさて、そんなのんびりな私ではありますが、新しく始めた睡眠障害専門クリニックでのカウンセリング業務に関しては、大分と板についてまいりました!
診療所(精神科)に居た頃も睡眠障害でお悩みの方は多かったのですが、今の所(睡眠障害専門)に来られる患者様は基本的にあまり強いお薬を使わずにと考えていらっしゃるので、生活改善のアドバイス心理療法的なお話しに良く耳を傾けて下さいますし、効果が大きい様に感じています。
時に重いうつや不安症の症状を訴えられる方もいらっしゃいますが、大切なのは今ご自身に必要な支援が何か(また何処で受けられるのか)と言う事に、出来るだけ早く気付ける事の様にも思います。
どうしても二の足を踏んでしまいがちな「精神科」なので、気楽に足を運べる「心療内科」を標榜されている内科で診て頂いていたと言う方も多いのですが、症状が不眠症状のみにとどまらず、強く現れてしまっている場合などには専門医の居る「精神科」に行かれる事をお勧めします。依存性の強いお薬に抵抗がおありの方も多いかとも思いますが、言いなりになる必要は無いのですから、何でもかんでも強いお薬を出すのではなく、今は必要だからと最適な処方を下さる信頼のおける先生を是非探してみて下さいね。

本日は、何事も自分の状態を良く知り、自分の歩幅(状況)に合わせる事が一番大切なのではないかと言う事で…
少々強引にまとめてみました(笑)

当初は個人で始めようと考えていた相談支援でしたが、力を貸して下さる方々が増えた事もあり、しっかりとした形を構築してから出直したいと考えております。
シエスタや、どこに支援を頼んで良いかのお悩みなどは、引き続きインスタDMやお問合せで対応しておりますので、気軽にご相談下さい♪

その一歩が踏み出せたなら そこがお前の前なのだから


ちゃんと前に進めているのかな?この道であってるのかな?そんな不安に駆り立てられたり、全然前に進まない事に、焦りや苛立ちをおぼえたり。
しかし、本当にそうなのかな?自分にとっての前って何だろう?進むべき正しい道?そこまで急ぐ必要はあるのかな?
今、顔を上げて向いた方向が自分にとっての前なのだし、そこに向けて一歩踏み出せたなら、前を向いて進めたって事。きっとそれで十分なんだと思う。ゆっくりでいいから、今の自分の気持ちや想いを大切にして、一歩一歩と進んで行こう。